理想と現実の縮め方 ~大切に思うことを、やってみる~
今日は、「理想と現実の縮め方」というテーマを考えてみる。
もう少し言い換えると、「ありたい自分と、現在の自分の、近づけ方」といったところ。
なぜこんなことを考えたか。
一つは、日々「もっと自分はこうありたいのに」とか「自分ってこういう面が全然足りてないよな」とか、どうも反省したり後悔したりすることが多かったから。
もう一つは、最近、「でも、とりあえず、やってみるか」と思って「ありたい自分」を行動に移してみたら、スルスルと良い振る舞いができた…という出来事があったから。
きっかけとなった舞台は仕事だ。自分はちょうど今、3年間お世話になった職場からお暇をもらって、次の環境に身を置こうとしている。
これまで、多様な経験の場や、たっぷりの愛情のもと、たくさんのチャレンジをさせてくれ、育ててくれた、今の会社。そして、その環境に別れを告げてでも、どうしてもチャレンジしたいと思えた、次の会社。それぞれ思うところはたくさんあるし、経営陣や先輩・メンバーに伝えたいこともたくさんあるのだが、今日はいったん、「去る者として何が残せるか」という部分に関連した話だけに絞る。
実は、「会社に来るのはあと1ヶ月」というタイミングで、所属するチームのメンバーへ退職の旨を伝えたのだが、その際、随分と気持ちが落ち着かなかったのだ。
落ち着かなかった主な理由は、
このメンバーと、あのメンバーと、自分はきちんと向き合いながら、これまで過ごして来られたんだろうか?
そんな不安に囚われていたから。
自分が今の50人に満たない会社に入った理由は、「どうやったら良いチームを作れるのだろう?」「どうやったら一人一人がやりがいを感じながら、同時に成果をしっかりと出せている、強いチームになれるんだろう?」そんな衝動にも似た想いに駆り立てられたから。
この会社で、良い組織を作りたい。自分がそこに主体者として関わりたい。そう思って入社して、有り難いことにチームリーダーを任せてもらうこともできた。自分のチームをどんなチームにしていくのか? チームを超えて、会社全体をどういう方向に進めていくのか? そんなお題に日々接しながら、過ごすことができた。
そこには、やりたかったことに取り組める環境があった。それは間違いない。
その中で。
自分は、「ありたい自分」でいられただろうか?
一人一人のメンバーと真剣に向き合いながら、彼らのやりがい・彼らの目の輝きを引き出すことができたのだろうか?
そのきっかけを作ったり、感情の変化を捉えることができたのだろうか?
導かれた成果は、一人一人が活き活きと活躍して、互いの信頼や幸せを感じながら、辿り着いた結果だったのだろうか?
退職をメンバーに伝える際、不安に駆られたのはこの部分だった。
不安というよりも、「自分は何もできていない」「まったくありたい姿じゃないじゃないか」といった、後悔や、無力感に近い感情だった。
目の前の業務や責任にばかり気をとられ、周りのメンバーとは全然向き合えなかったんじゃないか。
これまでずっと、力と想いを注いできたはずの環境を、申し訳なさと劣等感と肩身の狭さを感じながら、去って行く。
それは悲しい。
どうしても次の環境へチャレンジしたいのは事実だし、自分の信念に従い、自分の人生は歩んでいきたいと思っている。
それでも、残された期間は、どうにか実のある時間にしたい。自分も納得のいく形で、少しでも周りのメンバーときちんと向き合うことにしよう。
そう思って、少しずつメンバーと話す機会や、メンバーに注意を向け、気を配る機会を増やそうとした。
するとどうだろう。
案外、すんなりと行動することができたのである。
これまで日々、目の前の業務に意識を取られてしまい、メンバーと向き合えていないことを後悔することもあった。
それが今は、周りのメンバーに意識を向け、言葉を交わし、やりがいと共に、仕事の成果を追求しようと振る舞う自分を、自覚できている。(もう少し言うと、「確かに波はあったが、これまでも、メンバーと向き合おうと行動してきた自分がいた」ということにも、気づくことができた。以前も今も、まだまだ改善の余地はたくさんあるのだけれど…)
今から2週間前、退職をメンバーに伝えた際に感じた無力感は、
あと2週間、どこまで一人一人と向き合いつつ、彼らの変化や、自分の変化に立ち会えるか。そんな希望やワクワクにも近い感情に変わりつつある。
なりたい自分へ、少しずつ近づけている実感。
なぜ、感情が変わったのか。
今回の経験に照らすと、以下の2つがポイントだったと思う。
①ありたい自分を、意識したこと
⇒退職というきっかけで、「まずい、できてない」と感じた
②ありたい姿に沿って、すぐ行動したこと
⇒「残り時間がない」という焦りの中、とりあえず行動に移した
①と②を常にできていれば、もっと「ありたい自分」に近づけるのではないか。
理想と現実を、縮められるんじゃないかと思う。
もちろん掲げる理想によっては、「意識して行動したいと思っても、力が足りなくてできない」という場合もある。
ただ意外と、行動を起こしてしまえば、すんなりできることがあるのも事実だ。
だから今回は、どうしたら①と②を常にできるようになるかを考えたい。
①ありたい自分を、常に意識し続けるために
⇒立ち返る時間を作り、習慣化する
例えば寝る前に、「今日の自分は、ありたい自分だったか?」を振り返る時間を5分だけ取る。
例えば毎週日曜日に、「これから一週間、どんな自分でありたいか?」をイメージする時間を取る。
無理なく続けられるものを選ぶのがポイントになる。
⇒言語化する、表現する
例えば人に話したり文書に残したり…
前回のブログに書いた「大切と感じたものを自分の言葉にし、記憶に残すための行動」と同じようなアプローチだ。
②ありたい姿に沿って、行動するために
⇒「ありたい自分」を正しく知る
案外、やろうと思えばできてしまうことは多い。
大切なのは、①の過程で、「自分にとって、本当に大切なこと」をしっかり認識していること。
すべてをやろうとするとうまくいかない。
日々優先していたことが、実は案外重要じゃないこともあるし、逆に日々疎かにしていたことが、とても大切なことだったということも。
迷いなく、「自分にとっては、これが大切なのだ」と語れる人間でありたい。
⇒良いサイクルをつかむ
行動に移して自分の変化を実感できると、前向きな気持ちになる。
前向きな気持ちで臨むと、どんどん良い行動が紡ぎだされる。
自分はサッカーをするのだが、プレーが上手くいった時に気持ちが少し高揚して、面白いように良いプレーを続けられる瞬間がある。その感覚と、近いと思う。
ネガティブな感情の時には、気づけていないだけかもしれない。
自分が思っている以上に、自分は「ありたい自分」に近いのだ。
■まとめ
理想と現実を縮めるためのポイントは、「ありたい姿に沿って、行動を起こすこと」
その実践のために、こんな工夫ができる。
・ありたい姿に立ち返る習慣を作ること
・「本当に大切にしたいこと」を 絞ること
・行動に移して、ポジティブなスパイラルに入ること
上記はあくまで、筆者の経験・性質を前提にした一例だ。
性格や環境によって正解は変わると思う。
ただ、少なくとも自分にとっては、これを実践することができれば、これから生きていく時間の彩りが、一秒一秒の充実度が、大きく変わる実感がある。
偶然気づけたこの感覚を忘れず、実践して、「なりたい自分」に近づいていけたらと思う。